海外で芝居をすることは 戦いや勝負に似ている
街でのスカウトから、蜷川幸雄氏演出の舞台『身毒丸』でのロンドン公演デビューへ。「芝居」の世界へ飛び込んだ15歳の少年は、現在28歳の「役者」に成長した。話題の映画から日本の演劇史に残る舞台まで、その活動は実に幅広い。
これまでの役者人生は、素人目に見てもひたむきかつ濃厚。質問に対し丁寧に言葉を返す姿からも、その真面目さを感じることができる……中途半端が許されない「芝居」の世界で、一流の演出家や役者に磨かれてきた、言うなれば「育ちの良さ」のようなものを感じる。そしてさらに、海外で演技を披露するという経験も豊富。しかも、今後まだまだその機会は増えるだろう。
「(海外で演じることは)大げさかもしれないけれど、やっぱり戦いに行くというか……勝負するという面も少なからずありますね。また、国境を越えて日本の演劇や映画で挑んでいくというのは、非常に体力が必要なことだと思います。すごく大きな不安を抱えて、どっちに転ぶかわからない勝負に行くわけですよね。演劇だと、たった4〜5日間上演するためだけに行く。しかも海外公演は行くのも大変だし疲れる。でもそこには、確実に理由があるんですよ」
この2010年は、井上ひさし氏作・蜷川幸雄氏演出の舞台『ムサシ』でロンドンとニューヨークへ赴き、現地からの高い評価を得ている。
「井上先生の独特な言葉遊びやシェークスピアのように韻を踏む部分などが、イギリスで通用するかという不安はありました。けれどこの舞台では、本当に日本文学が受け入れられた。そして、そんな作品を作った井上先生は、本当にすごい方だと思いました」
ロンドン公演初日の約一カ月前にこの世を去った井上氏。海外で大成功を収めたこの事実は、氏にとって何よりの手向けとなったことだろう。
繊細さと大胆さこの微妙なバランス
映画俳優としても、多数のヒット作に出演。2010年は、行定勲監督の『パレード』や中田秀夫監督の『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』など、公開が相次いでいる。『ザ・リング2』でハリウッド進出を果たした中田監督も藤原さん同様、日本を代表する表現者の一人だ。
「中田監督とは初めてでしたが、世界でも戦っている方なので、文化によってモノ作りの進め方に違いがあるとか、そういう話を聞けたのは良かったですね」
現場では「数ミリのブレも許さない」という中田監督の厳しい要求に応え続けていたという。
「僕ら俳優には『判断しようがない瞬間』というのがあるんですよ。(演技に関する指示を受ける際)監督はどこを突いて、どこの変化をもって(やり直しを)要求しているのかなと。自分の中では何も変わっていないのに何かが違うのは、監督のみぞ知る領域なのかもしれません」
役や作品と真摯に向かい合い、外部からの要求に応え作品を作り上げていく過程は、映画も舞台も同じ。しかし「深作欣二監督の撮影でも同じだったけれど、『どうせNGだろうな……』と思いなら芝居していた」と、笑顔も見せる。細やかな深い役作りをしながらも、打たれ強い。繊細かつ大胆な「藤原竜也の芝居」は、こんな微妙なバランスから生まれているのかもしれない。
いま、海外に対し日本が伝えるべきこと
日本と海外、映画と舞台……様々な「現場」を知る藤原さんは、同時にそれらの「違い」も知っている。それでは、その違いを超え、たとえば国境を越えて通じるものとは何なのだろう。
「それは、語ると難しくなるけれど……やっぱり『良いもの』は通じると思う。それは映画でも、演劇でも」
取材時は、井上氏の追悼公演『黙阿彌オペラ』に出演中。そのテーマは「何でも西洋を取り入れるのではなく、自分たちで考えたり、今ある日本文化を守らなければならないというもの」と続ける。
「今の時代は『世界へ行こう』という流れだし、僕も海外は大好きです(笑)。けれど、この芝居のテーマみたいな考え方もある。そういう意味では、国境を越えて日本の文化を伝えていくことって、非常に大きな意味を持つと思います」
海外への留学経験もあるが、海外公演などで日本文化を強く意識する機会もあった。海外に良いものがあるように、日本にも良いものがある……両方を知るからこそ、「真に通じるもの」を探し求め、またそれを表現する者として、藤原さんの役者人生は続くのだろう。
藤原竜也
1982年5月15日生まれ。埼玉県出身。舞台『身毒丸』でデビュー。以後『近代能楽集~弱法師~』、『ハムレット』など演出家・蜷川幸雄氏の作品を中心に舞台俳優として活躍。映画でも『バトルロワイアル』(00年)、『デスノート』(06年)、『カイジ〜人生逆転ゲーム〜』(09年)などヒット作に出演。最新作『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』(ワーナー・ブラザース映画)は10月16日より国ロードショー公開。







